自立、自由、自己決定。自立生活。
頭だけで考えると「自己責任」という意味で使われても混同してしまうかもしれない言葉です。
ドキュメンタリー・生きる姿で自立・自立生活の意味を実感できる映画が『インディペンデント リビング』です。
Contents
映画『インディペンデントリビング』
映画『インディペンデントリビング』予告編
Independent。
Independent day だと独立記念日ですね。
Independent living とは自立した生活、自立生活のことです。
「自立生活(Independent Living)」とは「自立とは自己決定である」という考え方である。
従来の障害者支援の考え方では日常生活動作の達成が自立の目安とされてきたが、自立生活の理念では、障害者が自分の人生や生活の場面で自分で選択していれば、介助者に介助されていても自立していることになる。
「自立生活運動」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)から一部引用
映画の内容についてはネタバレにならないように触れませんが、タイトル『インディペンデントリビング』のとおり、自立生活、自立についてのドキュメンタリー映画です。
「自立生活(Independent Living)」とは「自立とは自己決定である」という考え方であるというのは、人として(1人の人間として)当たり前のことだと、実感できる映画です。
コロナ禍で観に行かなかった映画ですが、1,800円で自宅でパソコンで観られます。
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(クレジットカードなしでVimeoで映画を観る方法については、別の記事で紹介したいと思います。)
映画を観て、「自立」「自立した生活」とはなにか?についてあらためて考えてみました。
- そんなの「自己責任」じゃないか!という考え方と、まったく違う。
- 何でも自分1人だけでできることが「自立」なんじゃない。
自分でやりたいと思ったこと、自分で決めたこと、自己決定したことができるために、頼れる先・依存できる先がたくさんある状態が「自立」している状態なんだ。
そう思えると、自己決定も自立もとてもホッとする言葉ではないでしょうか?
- 身体障害、精神障害、知的障害といった障害がある。
- 生活が困窮している、貧困の状態にいる。
- 障害や貧困に限らず、自分らしく生きられていなくて生きづらいと感じている人。
自分で決めていいんだ。
自分で決めたことを実現するために、周りに頼っていいんだ。
自立とは「誰にも頼らない」のではなく、必要があればいろんな人の力を借りながら、自分の生活をコントロールできる余地を増やすことなんだ。
そう思えれば、自分自身も気持ちが楽になりませんか?
そして、自分以外の人の自己決定や自立も認められるのではないでしょうか。
「自立」という言葉で思う浮かぶイメージ
「自立」という言葉を聞いたときに、どんな意味を思い浮かべるでしょうか?
誰にも世話にならない。自分1人で生きていく。
こんなイメージが浮かんでくるかもしれません。
(私がパッと浮かんでくるイメージもそうです。)
自立、自己決定、自由、自己責任
なんとなく、どの言葉も近い意味のようにも思えて漠然としてわかりづらい。
- 自由に生きるのだから自己責任だ。
- 自立して生きるのだから自己責任だ。
- 自分で決めたのだから(自己決定したのだから)自己責任だ。
自己責任だから、自分でやってくれ。世話をかけるな、迷惑かけるな。
人に頼らない・依存しないこと。そういうイメージが浮かんできます。
「自立」とは依存しないことではなく、依存先を増やすことだ
人に頼らない・依存しないこと。自分だけの力で生きること。
「自立」とはそんなイメージが浮かぶかもしれません。
そうじゃないんだ。
自立とは、依存先を増やすこと。
自立とは、必要があればいろんな人の力を借りながら自分の生活をコントールできる余地をひろげること。
熊谷晋一郎さんと湯浅誠さんの考え方から「自立」を考え直すことができます。
自立とは、依存先を増やすこと(熊谷晋一郎さん)
自立している状態とは、実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態のことだと熊谷晋一郎さんは語ります。
実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。障害者の多くは親か施設しか頼るものがなく、依存先が集中している状態です。だから、障害者の自立生活運動は「依存先を親や施設以外に広げる運動」だと言い換えることができると思います。
公益財団法人東京都人権啓発センター
TOKYO人権 第56号(平成24年11月27日発行)
熊谷晋一郎(くまがやしんいちろう)さんインタビュー記事
小児科医/東京大学先端科学技術研究センター・特任講師
TOKYO人権(第56号)熊谷晋一郎(くまがやしんいちろう)さんインタビューについてはこちらの記事でも紹介しました。
自立とは依存しないことではなく、依存先を増やすことだ。本当の「自立」のためにも生活保護を!
自立とは、何かに追い立てられないで生活できること(湯浅誠さん)
自立とは、何かに追い立てられないで生活できること。
自立について書籍『貧困襲来』のなかで湯浅誠さんが語ります。
本人の“溜め”を増やすこと、「誰にも頼らない」のではなく、必要があればいろんな人の力を借りながら、自分で自分と家族の生活をコントロールできる余地を増やすこと、一言で言えば、何かに追い立てられないで生活できること、それが自立だ。経済的自立は、自立のごく一部にすぎない。それをすべてと考えて無理をすれば、逆に“溜め”は失われ、自立から遠ざかる。
P80
ここでいう“溜め”とはなんでしょうか?
“溜め”がない状態が貧困だとされています。
<貧困>とビンボー
貧困とはどういう状態なのか。ふつう、<貧困>は「ビンボー」のことだと思われている。ビンボーとはお金のないことだ。たとえば、田舎暮らしで家族があり、周囲の人たちともとてもうまくやって、幸せそうに見える脱サラの人がテレビで紹介されるとき、その人は「ビンボー生活」していると説明される。でもその人のことを<貧困>とは呼ばない。
<貧困>とビンボーは違う。つまり、<貧困>はお金がないことと同じではない。では何なのか。私は<貧困>というのは“溜め”のない状態のことだと思っている。では“溜め”とは?
P26
“溜め”とは?
“溜め”は、溜まり、水溜りを想像してもらえばいい。ただ地面に水が溜まっているだけでなく、人がその溜まりの中に浸かっているような、それに囲まれているようなイメージだ。胎児が羊水に浸かっている、そんなイメージでいい。
目に見えないが、人はそれぞれ“溜め”に包まれている。見えなくてもみんなその人なりの“溜め”を持っている。
P26〜27
- 金銭の“溜め”
- 人間関係の“溜め”
- 精神的な“溜め”
いろんなものが“溜め”としての機能をもっています。
親の財産や教育にお金と時間をかけてくれたこと、たくさんの友人に恵まれたことなど、自分の努力とは言えない要素として“溜め”があります。
ところが“溜め”は見えないので、家族にも友人にも雇用にも恵まれた人は、ついつい1人で生きてきたような気になる。
大きな“溜め”をもった人ほど「誰だってがんばればできるんだから、お前もがんばれよ」と言ってしまう。
がんばればできるのに、がんばらないお前の自己責任となってしまうのでしょうか。
“溜め”が小さい人にとっての自立とは、本人の“溜め”を増やすこと。
自立とは「誰にも頼らない」のではなく、いろんな人の力を借りながら、自分の生活をコントロールできる余地を増やすこと。
“溜め”という考え方は普段の生活で考える機会が少ないかもしれません。詳しくは『貧困襲来』を読んでみましょう。
“溜め”の小さな自分や“溜め”が大きな自分が他人を、自己責任で責めるのでもなく、どうやって“溜め”を大きくしていけるのか?という視点で「自立」「自立生活」を考えていけるかもしれません。
Amazon 『貧困襲来』湯浅誠さん
【編集後記】
映画のなかで、当事者で自立生活センターの責任者が「この仕事やるために頚損(けいそん)になったんやなと」「思えるようになったからな」という話がでてきます。
この人にとっての「calling」(使命)との出会い・気づきの言葉がとても強く響いてきました。
小倉健二(労働者のための社労士・労働者側の社労士)Office新宿(東京都)
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